大好きな花散歩から世界最古、アプリコット色のナミブ砂漠まで。好奇心を原動力にあちこち出かけます


by tanpopo-jyo

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出発~デリー市内観光

2015年9月18日(金)

今年のシルバーウィークは土曜日を含めると5連休と並びが良く
そのせいか成田空港は大混雑。
チェックインカウンターはビジネスクラスでも20~30人の行列でした。
手荷物検査は横から入れてもらえるものの出国審査室は各カウンターの列の
最後尾がどこなのかさえわからないほど。
何とか全て終えて全日空のラウンジに落ち着いたのは離陸1時間半前。
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成田発18:40 NH827便に搭乗したものの離発着の混雑で、滑走路で40分待ち。
夕食後は北野武監督のコメディ「龍三と7人の子分たち」と
「ボーイ・ソプラノ ただひとつの歌声」
「METライブビューイング チャイコフスキー "エフゲニー・オネーギン" 」 の3本を
見たらインディラ・ガンディ 国際空港に着いちゃいました^^ 所要9時間。
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2015年9月19日(土)
午前1時前、到着ロビーでガイドのカーンさん、ドライバーのシンさんと会えてホッ。
雨が降るなかタージパレスホテルにチェックインしたのは午前2時。
日本時間午前5時半なので眠い!

8時過ぎ、朝食を食べに行く頃になって昨夜来の雨があがったので外観を1枚。
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チェックインの時に眉間にポチッと赤いシルシを付けてくれたロビーはこちら。
朦朧としていたので記憶なしですが。
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9時にガイドのカーンさんが迎えに来てくれてホテルを出発。
今回の旅行はゴールデン・トライアングルと呼ばれる北インドの3都市デリー、
ジャイプール、アグラで、世界文化遺産5つを見学するのが目的です。
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インドの首都デリー は、イギリスの設計・建設による新都市部分ニューデリーと
古くからある町 オールドデリーに分けられ、2011年の都市圏人口は2,163万人。
大統領官邸からまっすぐ3㎞先にあるのが・・・
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高さ42mのインド門。第一次世界大戦で戦死したインド人兵士の慰霊碑で
戦没者1万3500名の名前が刻まれているそうです。
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世界遺産 レッド・フォートは、
タージ・マハルを築いたムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、
アグラから遷都して居城としてつくったもの。
1639年から9年の歳月をかけて完成、赤砂岩を積み上げて造った要塞のため、
別名「ラール(赤い)キラー(城)」と呼ばれています。逆光ですが・・・。
豪華な宮殿だったようですが、1857年「インド大反乱」(セポイの反乱)での略奪や
イギリス軍が駐屯地として兵舎を建設したため、城内は大きく作り変えられました。
というわけで中へは入らず。
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ラージ・ガートは1948年に暗殺されたマハトマ・ガンディーが荼毘に付された場所
ですが、敷地が広大で周囲は公園のため入り口からは結構歩きます。
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慰霊碑前まで行くにはハダシにならなければいけないので上から眺めることに
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黒大理石の慰霊碑の所が火葬のなされた場所。
遺灰はインド各地の河に流されたため、ここには残っていないそうです。
上から眺めただけではインドに敬意を表したことになりませんかね?
オールドデリー地区から・・・
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ニューデリー地区に戻り、ヤムナー川沿いに位置するインドで最初に建てられた
ペルシャ系イスラム建築様式の墓廟、世界遺産 フマユーン廟を訪れます。
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入場券売り場がやたらと厳重
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1つ目の門を通り抜けたあと振り返って。
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2つ目の門をくぐると ・・・
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手入れの行き届いた庭園に囲まれ、中央にドームをいただいた左右対称、
白大理石と赤砂岩のコントラストが美しいフマユーン廟が姿を現しました。
逆光のため午後からでないと鮮やかな赤が出ませんね
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フマユーン廟は、ムガル帝国の第2代皇帝フマユーンの死を嘆いた妃が
9年の歳月をかけて1565年に建立したもので、これより100年後に第5代皇帝が
亡き妃を偲んで完成させたタージ・マハルの建築様式に影響を与えたと
いわれています。正面入り口から・・・
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急な階段をあがると、
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中央墓室。この石棺はダミーで、本物の石棺は地下にあるそうです。
午前中のデリー市内観光はこれで終了。めちゃくちゃ駆け足!
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市内レストランで昼食。
ガイドのカーンさん曰く「るるぶ」にも載った有名なお店。
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ヒンズー教徒は、ニンニク、ニラ、ラッキョウ、玉ねぎ、アサツキは食べないと
聞いていましたがいきなり出てきたのがペコロスの酢漬け。
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タンドリーチキンとシシカバブ
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豆カレー、マトンカレー、マッシュルーム&グリンピースカレー、じゃがいもカレー、
山椒入りライスとナン。特に美味しいというほどではなく (>_<)
昼食後はニューデリーの郊外へ向かいます。
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インド旅行記は下記のとおりです
①出発~デリー市内観光
②デリー郊外のクトゥブ・ミナール
③風の宮殿 in ジャイブール
④象のタクシーで行くアンベール城
⑤シティパレスとジャンタル・マンタル天文台
⑥14年で捨てられた都ファテープル・シークリ
⑦囚われの間があるアグラ城
⑧インドの至宝 タージ・マハル
⑨アグラからデリーへ そして帰国

by tanpopo-jyo | 2015-09-26 20:32 | インド | Comments(6)

デリー郊外のクトゥブ・ミナール

2015年9月19日(土)

ニューデリーより南へ約15kmの郊外にそびえるインド最大のミナレット(塔)、
クトゥブ・ミナールは、インドで最初のイスラム建築で
1993年に世界遺産に登録されました。
この塔はインド北部を征服した奴隷王朝(1206~1290年)のスルタンが、
ヒンドゥー教徒に対する勝利を記念して建てたもので高さ72.5m。外壁は・・・
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曲線と直線を交互に組み合わせた安定したデザインで、
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コーランの言葉を図案化した彫刻が刻まれています。この塔の北側には・・・
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クトゥブ・ミナールよりもさらに高い塔を建てようとして挫折したアラーイーの塔の
基部が残っています。完成していたらいったい何mの塔になっていたのでしょう?
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クトゥブ・ミナールの隣にはインドで最初のモスク「クワットゥル・イスラム・モスク」が
ありますが、
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ヒンドゥー教寺院を破壊した際に出た石材を再利用して建てられているため、
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石柱にはヒンドゥー教の神、ガネーシャが彫られていたり、
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削り取られていたり。
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中庭には4世紀のグプタ朝時代に100%に近い純度の鉄で造られたという鉄柱が
今も錆びずに残っています。純度が高いために錆びないらしいのですが、
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下部は多少錆びていて、これは酸性雨の影響ではないかとのこと。
1600年経ってこの状態なら素晴らしいと思いますが。
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デリーでの駆け足観光はこれで終了、14時15分、デリーを出発。
今夜の宿泊地ジャイプールまでは260㎞、所要5~6時間と聞いてガックリ。
途中、ジャイプールまで残り95㎞地点で休憩をしたのですが・・・
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目の前をノラ牛の集団 が通りすぎて行きました。オス牛は死ぬまで働きますが
牝牛はシヴァ神が乗る神聖な動物なので、乳が出なくなると放たれるそうです。
ノラ牛は高速道路の中央分離帯を含め、ありとあらゆる場所にいて
少なくとも1日に50~60頭は見かけました。
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20時ジャイプール着。
ガイドのカーンさんはレストランで夕食を済ませてからチェックインと言いましたが
疲れ果てて絶対無理!(何しろ午前2時にデリーのホテルにチェックインした日の
20時ですから) と断固拒否。結局ホテルで夕食(またカレーですけど)。
すごく当たる占い師をホテルに呼ぼうか? と訊かれ これも拒否 (-_-メ)
今夜は寝ます宣言!

インド旅行記は下記のとおりです
①出発~デリー市内観光
②デリー郊外のクトゥブ・ミナール
③風の宮殿 in ジャイブール
④象のタクシーで行くアンベール城
⑤シティパレスとジャンタル・マンタル天文台
⑥14年で捨てられた都ファテープル・シークリ
⑦囚われの間があるアグラ城
⑧インドの至宝 タージ・マハル
⑨アグラからデリーへ そして帰国

by tanpopo-jyo | 2015-09-26 15:10 | インド | Comments(0)

風の宮殿 in ジャイプール

2015年9月20日(日)

ジャイプール JAIPUR は、首都デリーの南西約260kmに位置する
ラジャスタン州の州都で、18世紀にラージプート族 (ラジャスタン州を中心に
ガンジス河中流域に居住する人々の中で地主など支配者層のカースト) の
マハラジャによって作られた街。
タール砂漠の入口にあたるこの地域では、夏(3~6月)は40℃以上、
冬は5℃近くまで冷え込む砂漠気候で荷を引くラクダが道を行き交っています。

ジャイプールには、かつてのマハラジャの邸宅や別荘を改装した宮殿ホテルが
多くあり、前夜泊まったジャイ・マハール・パレス JAI MAHAL PALACE も
そのひとつ。
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重厚さはありませんがメンテナンスが行き届いた機能的なホテルです。
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私たちの部屋は緑の芝生が美しい中庭に面した右端の棟でした。
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張り出しテントの奥がダイニング。
昨夜も今朝も食事はこちらでいただきました。
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5人で朝食をとりながら全員携帯とにらめっこ。どこでも同じですね^^
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ホテルをチェックアウトしてまず向ったのは風の宮殿。
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「宮殿」といっても宮廷の女性たちが自らの姿を見られることなく、
パレードや街の様子を見ることができるようにと造った建物なのでいわば観覧席。
建物の奥行きはほとんどないのがおわかりいただけますか?
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あまりに大きな建物で道路の反対側に渡らないと全貌は撮れないのですが
信号はなく・・・
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様子を伺いながら「せーの!」で
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ダッシュ!!
以前エジプトへ行った時も、あまり信号がなかったので理由を訊ねたら
「信号より命の値段の方が安い」と言われ絶句しましたがインドも同じでしょうか?
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ちょっとしたスリルを味わって全貌を1枚撮りました。小窓は全部で953もあり、
この小窓から風が通るので「風の宮殿」と呼ばれているそうです。
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約10kmの赤い城壁に囲まれたジャイプールは、別名「ピンク・シティー」と呼ばれ、
独特の美しい街並みが有名です。
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建物を赤砂岩で造るためこのような色になるのですが、
元々は1876年にヴィクトリア女王の息子、アルバート王子がこの地を訪れた際に
マハラジャが、王子の好きなピンク色に市街の建物を塗って歓待したのが
きっかけだそうです。次はアルベール城へ向かいます。。。
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インド旅行記は下記のとおりです
①出発~デリー市内観光
②デリー郊外のクトゥブ・ミナール
③風の宮殿 in ジャイブール
④象のタクシーで行くアンベール城
⑤シティパレスとジャンタル・マンタル天文台
⑥14年で捨てられた都ファテープル・シークリ
⑦囚われの間があるアグラ城
⑧インドの至宝 タージ・マハル
⑨アグラからデリーへ そして帰国

by tanpopo-jyo | 2015-09-25 23:43 | インド | Comments(0)

象のタクシーで行くアンベール城

2015年9月20日(日)

風の宮殿のあとはジャイプールの町から北東へ10㎞余りの丘の上にある
世界遺産アンベール城へ向かいました。
アンベール城はイスラムとラージプート(インド北西部のラジャスタン州を中心に、
ガンジス河中流域に居住する人々の中で地主など支配者層のカースト) の
混合様式で建てられた壮大な首都城砦です。
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もともと砦があった場所に1592年、ムガル帝国の第3代アクバル皇帝の
軍司令官であったマハラジャ・マン・スィン1世によって大規模な増改築が始まり
その後も150年増改築は続いて、現状の形になったのは1727年だそうです。
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アンベール城は、岩山の上に築かれた城塞なので、
麓から150mほどの急坂を上る必要があります。
猛暑の中、急な上り坂を歩くのは大変なので、名物の象のタクシーを利用。
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なかにはお化粧している象も。
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象には、2人横に並んで座ります
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100頭余りの象がいますが、1日3~4往復しかできないので
午後では乗れないかも? その場合はジープをチャーターするか歩くかの選択です。
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坂道を自力で上がって来る人々を眺めつつ、象の背中でゆられていきますが
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それほどラクなものではありません。
象には以前も何度か乗ったことがありますし、ネパールでは白サイを追って
ジャングルサファリもしましたが、いずれも平坦な場所。
坂道では揺れが激しく若干乗り物酔いのような気分に。
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象は写真右側の太陽門から第1の広場(宮殿前庭)に入ると、
建物に沿って反時計回りに歩いて・・・
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写真中央に見えるプラットフォームまで連れて行ってくれます。
プラットフォーム手前に見えるのは月門(裏門)。
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第1の広場(宮殿前庭)から階段を上り宮殿内への入口、獅子門をくぐれば
一般謁見の間(写真)がある第2の広場に出ます。
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一般謁見の間前から見たガネーシャ門。
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ガネーシャ門はイスラム様式の影響を受けたスタイルで、
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細かいモザイク装飾と透かし彫りが施され世界一美しい門と言われています。
ガネーシャ門より先はプライベート空間で、門を入ると・・・
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幾何学模様で仕切られたイスラム調の庭園があります。右手回廊側にあるのが
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勝利の間 (夏の離宮) で、
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壁面には涼しげな色彩の壺模様や
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透かし彫りが施されています。
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更に夏を涼しく過ごす工夫として、屋上の水瓶から床下に水を流して各室を循環、
冷却。水は最後にここから滝のように流れ出て水路を伝って庭の草木をうるおす
というしかけも。これはスゴイ!!
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また 勝利の間 (夏の離宮)の対面、イスラム調庭園の左手回廊には・・・
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必見の 鏡の間 (冬の離宮) があります。
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壁、天井どこを見ても一面に施された鏡の装飾は、まさに贅の極み。
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基本が幾何学模様なのはイスラムの影響です。
わずかなろうそくの光が、鏡に反射して増幅され暖かな色に包まれるしかけです。
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鏡はベルギーから取り寄せたそうです。
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庭園からさらに奥に入ると広場の中央に踊り子の舞台があり、
広場の周りにはハーレム。ここでマハラジャは夜ごと宴をひらいたそうです。
10人の側室には1人1部屋、その他は3人で1部屋があてがわれ、
マハラジャは他室を通らずにどの部屋へも行けたといいます。
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勝利の間 (夏の離宮) の所から階上に出ると、
なんと世界一美しいと言われるガネーシャ門の最上部が目の前に。
建物の全体像もわからずグルグル歩いていたのです^^
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アンベール城の出口にはインドの定番? ヘビつかいのおじさん
コブラよりも「チップ入れてけ」オーラの方がコワかった^^
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インド旅行記は下記のとおりです
①出発~デリー市内観光
②デリー郊外のクトゥブ・ミナール
③風の宮殿 in ジャイブール
④象のタクシーで行くアンベール城
⑤シティパレスとジャンタル・マンタル天文台
⑥14年で捨てられた都ファテープル・シークリ
⑦囚われの間があるアグラ城
⑧インドの至宝 タージ・マハル
⑨アグラからデリーへ そして帰国

by tanpopo-jyo | 2015-09-25 17:56 | インド | Comments(0)

シティパレスとジャンタル・マンタル天文台

2015年9月20日(日)

アンベール城の次に向ったのは・・・
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1726年から続くラジャスタン州のマハラジャが今も暮らす7階建ての宮殿、
シティパレス。
門番3人は、観光客相手に「チップくれたら一緒に写真撮るよー」的交渉中。
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左右一対のゾウに守られた・・・
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ラジェンドラ門をくぐると、
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宮殿の一部が博物館、織物の展示館となっており、
ディーワーネカースと呼ばれる貴賓謁見の間に、歴代のマハラジャたちの衣装や
武器などが展示されています(内部は撮影禁止)。
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銀製の壺は一対あり、それぞれの重さは345㎏、容量900ガロン(409ℓ)。
1902年、マハラジャが英国に行く際に沐浴用のガンジス河の水を携行するため
作ったもので、世界最大の銀製品としてギネスに載っているそうです。
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クリーム色の建物がマハラジャの住居部分で、
州旗の上にもうひとつ小さな旗が上がっていれば「在宅」だそうです。
バッキンガム風ですかね?
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中庭に続く、それぞれ異なるクジャクの装飾を施した4つの門のうち、
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一番美しいと思ったのがこちら。絢爛豪華!しかしシティパレスから一歩出れば
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これが現実。
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かつてこのシティパレスに住んでいたジャイ・シン2世は、
天文学に非常に造詣が深く、ペルシャやヨーロッパから膨大な書物を集め、
1728年、自らの居城であるシティ・パレスの一角に天文台をつくりました。
それが世界遺産、ジャンタル・マンタル天文台で、
300年近く経った現在でも現役で利用されているそうです。
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「ジャンタル・マンタル」という言葉は、サンスクリット語で「魔法の仕掛け」という
意味だそうで、一見すると野外アートのような天体観測儀が並んだ不思議な光景。
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最も目を引くのは高さ27.4mもある滑り台のような日時計サムラート・ヤントラ。
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滑り台のような部分の左右に白い弧を描いたようなものがありますが
左が午前、右が午後で・・・
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日の当たっている所と陰の部分の境の目盛りを見ると「10」、つまり午前10時。
実際は午前10時20分だったのですが、この日時計を作った当時は
デリーとジャイプール間に20分の時差があったからだそうです。
目盛りは2分刻みに付いていました。
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地中にくぼんだ半球状の計測儀、 ジャイ・プラカーシュ・ヤントラは、
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円周の4点から線を張り、円の中心に金属板のようなモノがぶら下がっています。
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この金属板のようなモノが作る影の位置で・・・えーと、、、何がわかるんだっけ?
赤道がどうのとか言っていたような気がするのですが?
天文学の知識皆無で申し訳ありません(^^;
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これらは占星術に利用されたという12星座の運行を測る計測儀で、
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双子座はコレでした。
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これも何の計測儀か理解できませんでしたが
中心の針は北極星を指しているそうで、春分の日から秋分の日まではこちら、
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秋分の日から春分の日まではこちらを利用すると言っていた気がします。
天文学の知識があればもっと楽しめたのでしょうに残念です。
ただ18世紀なら既に正確な暦はありましたよね?
何故これらが必要だったのかもいまひとつ不明で (>_<) マハラジャの道楽?
ここにある約20の計測儀の原型は、3世紀前にさかのぼるウズベキスタン・
サマルカンドのものだそうです。
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ランチはこちらのレストランで。
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昨日よりもオシャレなお店だったので一瞬期待しましたが・・・
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昨日の昼と夜に続いて3回目のカレー 。・°°・(>_<)・°°・。
色々な種類のカレーが少しずつ大皿に盛られているのを「タリ」と言うそうです。
左奥からデザートのヨーグルトとグラムジャムー(2口と食べられない激甘!)、
カレーは豆、チキン、チーズ、じゃがいもの4種類。
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13時20分、昼食後は今日の宿泊地アグラへ向けて出発です。
アグラまでは240㎞(約4時間)ほどだそうですが、
アグラ手前にあるたった14年間の都、ファテープル・シークリに寄ります。

インド旅行記は下記のとおりです
①出発~デリー市内観光
②デリー郊外のクトゥブ・ミナール
③風の宮殿 in ジャイブール
④象のタクシーで行くアンベール城
⑤シティパレスとジャンタル・マンタル天文台
⑥14年で捨てられた都ファテープル・シークリ
⑦囚われの間があるアグラ城
⑧インドの至宝 タージ・マハル
⑨アグラからデリーへ そして帰国

by tanpopo-jyo | 2015-09-25 10:29 | インド | Comments(0)

14年で捨てられた都ファテープル・シークリ

2015年9月20日(日)

ジャイプールを出発して3時間半(約200㎞)、
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アグラまであと40㎞という場所にある世界遺産 ファテープル・シークリーは、
インド史上最大のムガル帝国(1526~1858年)が築いた都のひとつです。
第3代皇帝アクバルは絶大な力を誇りましたが、唯一の悩みは世継ぎに
恵まれなかったこと。
シークリ村に住むイスラム教の聖者に相談したところ「王子の誕生」を予言され、
その予言の通りに王子(第4代皇帝ジャハーンギル)が誕生したため、記念として
アグラから遷都して、ファテープル・シークリ(勝利の都)と名づけたのです。
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ファテープル・シークリの建造には5年の歳月を費やしたといわれ、
丘の上に築かれた城壁の中には、赤砂岩の宮殿や巨大なモスクが造られました。
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モスクサイトには王子誕生を予言した聖者の霊廟があり、
子宝に恵まれる巡礼地として、有名な場所だそうです。
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ファテープル・シークリーの建物はほとんど赤砂岩で作られていますが、
用途がわからないものが多いようです。これは沐浴用?
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この五層の塔屋は、インド古来の木造建築に見られる柱や梁の作りを取り入れた
もので、アクバル式と呼ばれる独自の新しい建築様式とのこと。
ここから月を眺めたのでは?とか或いは・・・
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女官たちによる「人間チェス」を見下ろす時に使われたのでは? と言われています。
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こちらは第1夫人の部屋ではないかと言われる建造物。小さな建物ですが、
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壁や、
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天井には精緻な彫刻がなされ、石造でありながらまるで木造建築のような
装飾を見ることができます。
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予言通りに誕生した王子(第4代皇帝ジャハーンギル)のために作られた学校も
梁の部分などにヒンドゥー世界の建築の要素を積極的に取り入れています。
ムガル帝国はイスラムの国ですが、領土の拡大とともに多くの異教徒を抱えて
いました。皇帝アクバルは、インドの全ての異教の王朝を収めるために
それまで異教徒に課していた税金などを廃止し、諸宗教を尊重。
さらにヒンドゥー教の豪族たちを要職に就かせ、彼らの娘を後宮に迎えたとも
言われています。
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私的謁見室と考えられている建物の内部はとてもユニークなデザインで、
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7m四方ほどの部屋の中央に・・・
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無数の持ち送りで飾られた太い柱があり、その上に対角に通路が渡されています。
アクバルは自らを神として、人々が真上を見上げなければならないような所に、
玉座を設けたと言われています。
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また重臣と内密の話をする時も、通路からは一人しか通れないので
暗殺の危険から身を守ることができたのだそうです。
全て赤砂岩でできているとは思えないつくりですよね!
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アクバルは、この都で、イスラムとヒンドゥーの文化が共存する「新しい文化」を
誕生させ、後のムガル朝やインドの他の建築物に大きな影響を与えましたが
遷都後わずか14年(1574~1588年)でここを放棄し、
現在のパキスタン、ラホールへ都を移してしまいました。
その理由は諸説ありますが、慢性的な水不足と暑さが大きな理由だろうと
言われています。たった14年で幕を閉じたファテープル・シークリは、
戦乱にさらされることも、破壊されることもなく良い状態で残されています。
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ファテープル・シークリを出発して今夜の宿泊地アグラまで1時間余り。
アグラへ着いたときには19時をまわり真っ暗。
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怪しげな街だけど大丈夫?
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インド旅行記は下記のとおりです
①出発~デリー市内観光
②デリー郊外のクトゥブ・ミナール
③風の宮殿 in ジャイブール
④象のタクシーで行くアンベール城
⑤シティパレスとジャンタル・マンタル天文台
⑥14年で捨てられた都ファテープル・シークリ
⑦囚われの間があるアグラ城
⑧インドの至宝 タージ・マハル
⑨アグラからデリーへ そして帰国

by tanpopo-jyo | 2015-09-24 23:39 | インド | Comments(0)

囚われの間があるアグラ城

2015年9月21日(月)

インドの至宝「タージ・マハル」があるため、インドを旅する人が必ず訪れるという
ウッタル・プラデーシュ州最大の都市アグラ AGRA はデリーの南 約200㎞に
位置しています。ゲートウェイホテル・フェートハバドをチェックアウトして・・・
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世界遺産アグラ城へ。
ガンジス河の最大の支流ヤムナー川岸に横たわるアグラ城は、
周囲2.5㎞に及ぶ広大な赤い城塞です。
デリーからアグラへの遷都に伴い、イスラム勢力のムガル帝国第3代皇帝
アクバルによって、1565年に着工、1573年に完成。
その後、第4代皇帝ジャハーンギル、第5代皇帝シャー・ジャハーンまでの、
3世代の皇帝の居城となり、赤砂岩でできた重厚な城壁で囲まれているため、
「赤い城」と呼ばれています。
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アクバル帝は1566年、ヤムナー川西岸の岩盤上に半ば完成した城塞をもって、
首都としましたが、1世紀後に第6代アウラングゼーブ帝が外郭の城壁を造り
二重の城壁のあいだを濠としてより堅固な城塞としたそうです。
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南のアマル・シング門からハネ橋を渡って中に入ると坂道が続きますが、
これは戦いの時に岩を転がして敵の侵入を防ぐためのものです。
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坂を上りきると 第4代ジャハーンギール帝(予言通りに誕生したアクバル帝の息子)
が自分のために建てた赤砂岩の壁面に白大理石の象嵌がある
ジャハーンギール殿が見えてきます。
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ジャハーンギール帝に叔母から贈られたというバスタブ
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ジャハーンギール殿の中央中庭、左手にあるのが・・・
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冬の離宮、
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右手が夏の離宮。諸室は木造を思わせる柱・梁構造からなり、
腕木にはレリーフ彫刻がほどこされています。
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水はけ用の穴とガイドのカーンさんは言うけれど直径1mほどの穴がひとつ。
沐浴用にしては中のデコボコが使いにくそうですし、何なのでしょう?
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ターバンを巻いてもらって記念撮影中のスペイン人ご一行^^
インド人=ターバンのイメージがありますが、
ターバンを巻いているのはシーク教徒だけだそうです。
インドではヒンドゥ教徒7割、イスラム2割、残り1割に仏教やシーク教など7つの
宗教が含まれ、シーク教徒は全体の1~2%とのこと。
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ジャハーンギール殿の隣には、
タージ・マハルを造った第5代皇帝シャー・ジャハーンが白大理石で造った寝殿。
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寝殿内部は柱の象嵌や
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アラベスク模様、透かし彫りが美しく、
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寝殿テラスからは・・・
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ヤムナ川越しにタージ・マハルを見ることができます。
第5代皇帝シャー・ジャハーンと愛妃 ムフタズ・マハルの間には14人の子供が
いましたが14人目の出産が元で妃は36歳の若さで亡くなり、嘆き悲しんだ皇帝が
妃の霊廟として建てたのがタージ・マハル。
14人のうち、成人したのは男子4人と女子2人だけでしたが、
タージ・マハル完成から4年後に第5代皇帝シャー・ジャハーンが病に倒れると
4人の息子たちの間で皇位継承争いが勃発。
勝った第3皇子アウラングゼーブは、兄と弟を殺害し第6皇帝の座を奪取した上、
実父シャー・ジャハーンをこの寝殿に幽閉。
亡くなるまでの約8年間、栄華を誇った皇帝はタージ・マハルを眺め、
亡き妃への想いだけを慰めにしながら息を引きとったのだそうです。
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第5代シャー・ジャハーン帝の寝殿前庭園の中央には、四角い池のある白大理石
のテラスがあり、寝殿と相呼応しています。皇帝は池で水浴する女官たちを
寝殿から眺めたのだそうです。タージ・マハルを造るほど愛する妃がいても
ハーレムはあったのですね^^ 白大理石のテラスの向こうに見えるのは・・・
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アングリー(葡萄)庭園。当時は葡萄が植えられていたからとのこと。
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アングリー庭園を抜けると、一般市民の立ち入れない
マッチ・バワン(魚の館)とよばれる中庭に面して、列柱ホールの内謁殿があります。
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かつては中庭に、魚で満ちた大きな池があり、
第5代シャー・ジャハーン帝と愛妃は魚釣り競争をしたとか。
でも愛妃の顔ばかりを見ていた皇帝は一度も勝ったことがなかったそうですよ?
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内謁殿の隣は白大理石による高さ7mのアーチが9連も続く公謁殿で、
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皇帝はここで市民の訴えを聞き、裁きを下していたそうです。
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中央奥には一段高い玉座、
その下の白いフェンスで囲われた椅子には妃の父が座ったそうです。
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次は、第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛妃の霊廟として建てたタージ・マハルへ。

インド旅行記は下記のとおりです
①出発~デリー市内観光
②デリー郊外のクトゥブ・ミナール
③風の宮殿 in ジャイブール
④象のタクシーで行くアンベール城
⑤シティパレスとジャンタル・マンタル天文台
⑥14年で捨てられた都ファテープル・シークリ
⑦囚われの間があるアグラ城
⑧インドの至宝 タージ・マハル
⑨アグラからデリーへ そして帰国

by tanpopo-jyo | 2015-09-24 17:59 | インド | Comments(0)

インドの至宝 タージ・マハル

2015年9月21日(月)

アグラ城観光のあとは世界遺産、タージ・マハルへ。
駐車場から入場ゲートまではカートかラクダに乗って移動。
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この先、一生着ることもないと思われたのでサリーをレンタル^^
タージ・マハルの警備員にレンタル料を訊かれ「1200ルピー(約2400円)」と
答えたら仰天されました。インドの物価では高いのね。。。
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白大理石部分の文字は遠近法を考えて上へ行くほど大きく書かれているそうです。
雄大な赤砂岩の門をくぐると、
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かつてインド亜大陸で栄華を極めたムガル帝国の5代皇帝
シャー・ジャハーンが亡き妻を偲び1632年に着工し、1653年に完成させた
巨大な霊廟、タージ・マハルの姿が現れます。
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広大な正方形の庭園の奥に 約 100m四方、 高さ7mの大基壇があり、
四隅には細身のミナレット。その中央には 高さ 65mのドーム屋根をいただく廟。
これらの全てが 純白の大理石でつくられたタージ・マハルの気品は圧倒的です。
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シャー・ジャハーンの寵愛を受けた妃ムフタズ・マハルは皇帝との間に14人の
子供をもうけ、14人目の息子のお産がもとで36歳の若さで亡くなりました。
亡くなった翌年にタージ・マハルの着工にかかり、ラジャスタン地方から1万頭の
象で運んだ白大理石を使い、2万人を超える象嵌細工の職人等を世界中から
動員して22年の歳月をかけて完成させたそうです。
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その建築にあたっては、翡翠や水晶は中国から、トルコ石はチベット、
サファイアはスリランカ、カンラン石はエジプト、珊瑚や真珠貝はアラビアから・・・等
世界各地から28種類もの宝石・貴石を取り寄せたため、建設にかかった費用は
国の財政を傾けるほどだったそうです。
そんなだから三男に帝位を奪われて幽閉されてしまったのですねー。
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白い大理石に28種の宝石を使って施された象嵌細工の花模様や唐草模様、
コーランのカリグラフィーは完璧な美しさ。
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ドームの前に立って歩いて来た方を振り返ると
水路を伴った田の字形に区画された庭園を見渡すことができます。
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柩が安置されたドームを出ると目の前には・・・
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ガンジス河最大の支流、ヤムナー川。
シャー・ジャハーンはこの対岸に黒大理石で自分用のタージ・マハルを作る予定
でしたが浪費癖のため三男に幽閉されてしまったためかなわず、
死後は、最愛の妻の横に埋葬されました。
中央のドームの棺はダミーで、本物は地下に安置されているそうです
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ヤムナー川の左手にはシャー・ジャハーンが幽閉されていたアグラ城が見えます。
「幽閉」といってもひと部屋にではなくアグラ城内は自由だったようです。
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ドームの両側には 全く同じ形をした赤砂岩の建物がドームの方を向いて
建っています。
どちらも白大理石のドームを 3面づつ いただいていて、西側(メッカ側)はモスク、
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東側は迎賓館。
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が、実際には廟本体を引き立たせる役割ではなかったかと言われています。
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タージ・マハル見学の際は、敷地内への持ち込みが厳しく制限されており、
男女別の身体検査及び手荷物検査が行われています。
三脚、アメやガム、水、日焼け止めクリームなどは持ち込むことができませんが、
チケットを購入すると外国人のみミネラルウォーターと靴カバーがもらえます。
(インド人とは入場料が異なります)
タージ・マハルの建物内に入場する際は、ハダシになるため、
外国人は靴の上にカバーを付けて入場するのです。
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ついに!!3日目のランチもカレー(-_-メ)
バイキング形式でしたが食べる気にもなれず・・・。
温野菜までカレー味には参りました
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インド旅行記は下記のとおりです
①出発~デリー市内観光
②デリー郊外のクトゥブ・ミナール
③風の宮殿 in ジャイブール
④象のタクシーで行くアンベール城
⑤シティパレスとジャンタル・マンタル天文台
⑥14年で捨てられた都ファテープル・シークリ
⑦囚われの間があるアグラ城
⑧インドの至宝 タージ・マハル
⑨アグラからデリーへ そして帰国

by tanpopo-jyo | 2015-09-24 14:38 | インド | Comments(0)

タスマニアの旅⑩ リッチモンドの町

2015年1月3日(土)

今日最初の目的地はオーストラリアでも最も保存状態が良い
コロニアル調の町リッチモンドRichmond です。
州都ホバートから車で30分、3号線のハイウエイからB31号線を走った先に
別名ジョージアンビレッジの名前で呼ばれるリッチモンドがあります。
リッチモンドの歴史のスタートは1823年に作られたリッチモンド橋。
現存するオーストラリア最古の石橋です。
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コールリバーにかけられたこの橋のおかげでタスマニアの東海岸、そして監獄の町
ポートアーサーとを結ぶコンビクト・トレイル(囚人の道)が開かれました。
1824年には、リッチモンドの名前がつけられ、監獄や軍隊の基地ができ、
30年代には宿や鍛冶屋、市場、レンガ工場など各種の民間の施設ができて、
タスマニアでも3番目に大きな町として賑わうようになりました。
ところが、1872年にピッツウオーターの浅い入江を埋め立てて造った橋が
開通したため、リッチモンドへの交通は激減。
その結果として、入植当時の雰囲気がそのまま取り残された町になったのです。
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橋の上から左を見るとカトリック教会としてはこれもオーストラリア最古の
セントジョン教会が見えます。
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メインストリートに面したVillage Store (右手の緑の屋根の建物) は、
1836年に造られた豪州で最も古い食料品店として現在も営業しています。
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郵便局は1825年建築の元、Court House
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クラフトショップやギャラリーを覗いて歩くのも楽しいですし、
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歩き疲れたら街角のカフェでちょっと一息。
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タウンホールの奥にあるのは、リッチモンド・ジェイル(監獄)。
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小規模ながら1825年に作られたポートアーサーよりも古い監獄跡で、
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中に入れば独房、
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雑居房、
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鞭打ち刑用のはりつけ台が残る中庭など、
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当時のままに保存されています。
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このあとはポートアーサー流刑場跡へ向かいました。

< タスマニアの旅日記 目次 >
タスマニアの旅① 州都ホバート到着
タスマニアの旅② ホバートからストローンへ
タスマニアの旅③ ゴードン川のリバークルーズ
タスマニアの旅④ クレイドル山国立公園
タスマニアの旅⑤ 壁画の町シェフィールド
タスマニアの旅⑥ カタラクト渓谷
タスマニアの旅⑦ Bay of Fires & Bicheno
タスマニアの旅⑧ フレシネ国立公園
タスマニアの旅⑨ タスマニアデビルに会う
タスマニアの旅⑩ リッチモンドの町
タスマニアの旅⑪ ポートアーサー流刑場跡
タスマニアの旅⑫ タスマン国立公園
タスマニアの旅⑬ ホバート町歩き~帰国まで
by tanpopo-jyo | 2015-01-07 22:11 | タスマニア(豪州) | Comments(0)

タスマニアの旅⑪ ポートアーサー流刑場跡

2015年1月3日(土)

リッチモンドを出発して1時間余りでオーストラリア最大の監獄跡として知られる
ポートアーサーに到着。
ポートアーサーは1830年に囚人の手により木材を生産する基地として開かれ、
その後罪を重ねた囚人の懲罰用の収容所となった所で、
タスマニア本島とタスマン半島をつなぐ幅100m足らずのイーグルホーク・ネック
と呼ばれる細長い陸路、そしてサメが生息する流れの早い海峡により
囚人の脱獄を防ぐ「究極の刑務所」と言われた場所です。
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ビジターセンターで入場パスを購入し
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30分毎に催行されているガイドツアーに参加。
1776年にアメリカが独立戦争で勝つと、流刑地を失ったイギリスは、
1788年以降、囚人をオーストラリア植民地に送りました。
その流刑囚たちの罪は小さな窃盗程度でしたが、彼らには前科があり、
英政府は再犯者には厳罰で臨んでいたというような解説がまずあります。
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4階建て収容所の1階には重罪判決を受けた受刑者用の隔離独房が138室
設けられ、最上階には素行良好な400名規模の部屋、上階には食堂、図書館、
チャペルがありました。
1840年までには2000人以上の囚人と役人たちが、船を造ったり、木材、靴、
衣服、レンガ、家具やなどを生産する基地となり、1877年の閉鎖までに
約12000人の囚人たちがこの地で刑に服したと言われています。
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高い塀で囲まれた収容所は更に重い罪の犯罪者用で、
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中央にある監視員スペースの・・・
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右と
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左には独房が並んでいます。
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囚人たちは1日23時間はこの部屋で過ごし、
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1時間だけ運動場に出ることを許されますが、それも1人辺り3~4畳ほどの
個別スペースで他の囚人とは一切顔を合わせる機会がなかったそうです。
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牧師席から見た教会内部ですが、個別の衝立で仕切られているのがわかります。
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ポート・アーサーは単なる刑務所ではなく、地域社会の性格も備え、
軍人や移民が生活し、様々な物資を生産する産業や農場もありました。
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奥は1842年建造の病院、手前は交番。
病院には精神疾患の患者も送り込まれ、労働に従事させられていたそうです。
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1843年建造の病院長の自宅。
病院長は商店の売り上げの一部を特権として与えられていたようなのですが
そうでもしないと なり手がいなかったのでしょうか?
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メイドの家
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郵便局
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山火事で消失して外壁のみとなった1837年建造の教会跡。
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石壁だけの窓に囲まれ屋根のない開放された空間は、
暗い過去を忘れ去り、静かに過ぎていくときの流れを感じさせます。
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囚人史跡というと、暗くて恐ろしい監獄のイメージですが、実際にこの地を訪問
してみると意外な明るさに驚きます。 陽に映えるレンガの外壁、
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緑の芝生や
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園内を取り囲むユーカリの森などが鮮やかに目に映ります。
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1877年に監獄が閉鎖されたあとは、多くの建物が取り壊されたり山火事で消失。
その後、建物が売却されて新しい町として生まれ変わる時に過去のイメージを
拭い去るため 町名をカーナボンに変更。
観光がさかんになるにつれて、建物のいくつかは宿泊施設に改造され、
1927年には再びポートアーサーの名前が復活。
ポートアーサーの歴史的な価値が見直されると同時に政府が施設の買戻しを行い、
1970年から全ての史跡を州政府が管理するようになったとのこと。
この史跡地区には、30棟を超える歴史建造物や廃墟が残されており、
2010年、ポートアーサーを含むタスマニアの5ヶ所の史跡が
囚人史跡群として世界遺産に登録されました。
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流刑場跡を見学したあとはミニクルーズへ
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左手の小さな島は1000人以上の囚人が葬られている「死の島」
私たちは買いませんでしたが、最初にビジターセンターでチケットを購入する際、
この島で下船、見学するタイプのチケットもあります。
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このあとは、タスマン半島のもうひとつの目玉、タスマン国立公園へ向かいました

< タスマニアの旅日記 目次 >
タスマニアの旅① 州都ホバート到着
タスマニアの旅② ホバートからストローンへ
タスマニアの旅③ ゴードン川のリバークルーズ
タスマニアの旅④ クレイドル山国立公園
タスマニアの旅⑤ 壁画の町シェフィールド
タスマニアの旅⑥ カタラクト渓谷
タスマニアの旅⑦ Bay of Fires & Bicheno
タスマニアの旅⑧ フレシネ国立公園
タスマニアの旅⑨ タスマニアデビルに会う
タスマニアの旅⑩ リッチモンドの町
タスマニアの旅⑪ ポートアーサー流刑場跡
タスマニアの旅⑫ タスマン国立公園
タスマニアの旅⑬ ホバート町歩き~帰国まで
by tanpopo-jyo | 2015-01-07 21:13 | タスマニア(豪州) | Comments(0)