大好きな花散歩から世界最古、アプリコット色のナミブ砂漠まで。好奇心を原動力にあちこち出かけます


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「大名茶人 織田有楽斎」展

2024年3月8日(金)

今日はサントリー美術館で開催中の 「大名茶人 織田有楽斎」展へ行って来ました。

織田有楽斎 (うらくさい) こと 織田長益は 尾張の虎と称された 織田信秀の十一男で、
信長 (信秀の次男・嫡男) の13歳下の弟です。
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_00181366.jpg


現在国宝になっている茶室「如庵」を作り、茶人として名高い一方で、


天正10年 (1582) に起きた本能寺の変では、
二条御所に籠る長益の主君で甥の信忠(信長の長男)が自害したにもかかわらず、
長益は御所を脱出したことから、京の人々には「逃げた男」
と揶揄されました。

その後は、甥の信雄 (信長次男) に仕え、家康と秀吉の講和を調整するなどしたものの、
信雄が改易 (領地も屋敷も没収) されると今度は秀吉の御伽衆加わります。

秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは 東軍として参戦し、石田三成の軍勢と戦を交えて戦功をあげ、
戦後は 淀殿の叔父として淀殿・秀頼母子を補佐するなど豊臣家に仕えましたが、
常に徳川方へ配慮し、冬の陣においては豊臣・徳川の間で和議を結ぶよう説得。
夏の陣の前には家康の許可を得て主君から離れました。
織田有楽斎座像 江戸時代 17世紀 正伝永源院蔵
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_19155439.jpg


信長、秀吉、家康の三天下人に仕えて時流を乗り切り、
晩年を京で過ごした織田有楽斎 (長益) の心中には、どのような思いがあったのでしょうか。
第1章では 「逃げた男」という不名誉なレッテルは正しいのか? を
歴史資料を通して見つめなおし、
第2章と第3章では、有楽斎の茶人としての側面にスポットが当てられています。
大井戸茶碗 有楽井戸 朝鮮王朝時代 16世紀 東京国立博物館蔵
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_19241699.jpg


有楽斎所持と伝わる小さな (高さ6㎝) 茶入は、大坂城落城の折に焼失したのですが、
塗師の名工・藤重藤元 父子が焼け跡から茶入9つ分の破片を集めて、漆繕いし、家康に献上。
唐物文琳茶入 銘 玉垣 南宋時代 12-13世紀 遠山記念館蔵
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_19374257.jpg


父子が献上した9つの茶入のうち 「付藻茄子」と 「松本茄子」の2点 (下の写真) は、
漆繕いの褒美として藤重家に下賜されたのち、静嘉堂文庫美術館の所蔵となり、
一昨年 開催された「響きあう名宝 - 曜変・琳派のかがやき - 」展で見る機会に恵まれました。
※本展では展示されていません
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_10304890.jpg


なお「玉垣文琳」は、平成元年に解体修理されたそうで、
分解写真も展示されていました。
※下の分解時の写真は、「遠山記念館だより 第50号」よりお借りしたものです。
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_19372554.jpg


当時、茶の湯は政治のツール。
信長は 誰を茶会に招き、誰にどの名物を恩賞として与えるのかなど
茶の湯を徹底的に政治に利用した武将ですが、
弟・有楽斎は茶の湯の素養を活かし、茶会で人と人をつなぐ能力に長け、
幅広い人脈を持っていたようです。

それは武将のみならず、堺や博多の有力茶人であったり、千家の人々や高僧、
公家や京都宇治の御用茶師とも親交を深めていたことが交わされた書状で理解できました。
このネットワークは豊臣家・徳川家をはじめ多くの人々から色々な局面で頼りにされ
だからこそ秀吉にも家康にも必要な人材だったのですね。
ただの 「逃げた男」じゃなかったです!
青磁輪花茶碗 銘 鎹 (かすがい) 南宋時代 13世紀 マスプロ美術館蔵
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_21530537.jpg


第4章では かつて有楽斎によって建造された茶室・如庵があった 建仁寺の塔頭
正伝永源院に伝わる寺宝の数々が紹介され、華やかに締めくくられていました。
旧正伝院書院障壁画のうち山水図 六面 (部分) 長谷川等伯 桃山時代 16-17世紀
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_10223029.jpg


展覧会のチラシに、有楽斎四百年遠忌実行委員会が 有楽斎の人となりを偲んで作成した
鳴かぬなら 生きよそのまま ホトトギス という句が載っていました。

戦国武将の性格を表す句として
鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス(信長)
鳴かぬなら 鳴かせてみせよう ホトトギス(秀吉)
鳴かぬなら 鳴くまで待とう ホトトギス(家康)がありますが、
3人の天下人は 「ホトトギスは鳴くものである」という価値観、
有楽斎は、鳴かないホトトギスをあるがままに受け止めているところが大きく違いますね。

1980年代に松下幸之助相談役(当時)を座長として、11人の委員で構成される
「京都座会」という月に一度の研究提言会があり、私のボスも委員のひとりでした。
その会で 聞いたと思うのですが、天下人の句のあなたはどれか? と訊かれた相談役は、
「鳴かぬなら それもまたよし ホトトギス」だと。

「逃げた男」と悪しざまに言われた有楽斎ですが、
狭い価値観で善し悪しの判断を下さない人でありたいと思うのです。難しいけど。

蓮鷺図襖 十六面 (部分)  狩野山楽 江戸時代 17世紀
「大名茶人 織田有楽斎」展_b0112909_10224569.jpg



# by tanpopo-jyo | 2024-03-09 18:02 | 赤坂・六本木・広尾エリア | Comments(0)